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ランボルギーニ・ミウラ特集!p400/svの中古価格などミウラを網羅!

2018.05.25

ランボルギーニの歴史を代表する名車ランボルギーニ・ミウラ。現在は現存するモデルも少なくすでに見かけることも困難となっていて、ライトなどがレストアされた中古の物もあります。そんなランボルギーニ・ミウラの誕生や価格やsvjなど、歴史をたどりながら網羅していきます!

  1. ランボルギーニ・ミウラを網羅!①ランボルギーニミウラの誕生
  2. ランボルギーニ・ミウラを網羅!②ランボルギーニ・ミウラのエンジン
  3. ランボルギーニ・ミウラを網羅!③ランボルギーニ・ミウラ名前の由来
  4. ランボルギーニ・ミウラを網羅!④ランボルギーニ・ミウラ当時の販売価格
  5. ランボルギーニ・ミウラを網羅!⑤ランボルギーニ・ミウラsvj
  6. ランボルギーニ・ミウラを網羅!⑥ランボルギーニ・ミウラsvjとイオタの関係
  7. ランボルギーニ・ミウラを網羅!⑦ランボルギーニ・ミウラsvjレプリカとは!?
  8. ランボルギーニ・ミウラを網羅!⑧現存するランボルギーニ・ミウラの数は!?
  9. ランボルギーニ・ミウラを網羅!⑨中古車!?オークション価格!?
  10. ランボルギーニ・ミウラまとめ
ランボルギーニ・ミウラの誕生をたどっていくと、1965年まで遡ることになります。1965年11月、イタリアのトリノオートショーにおいて、TP400が展示されました。しかし、これはシャシーとエンジンのみで展示された車で、この時は、TP400という型式のみで、車名すらありませんでした。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/ba/1965_Turin_Salon_Miura_Chassis_-1.jpg/800px-1965_Turin_Salon_Miura_Chassis_-1.jpg
しかし、他社がFRレイアウトが通常とされていた時代に、ミッドシップとして発表されました。そして、ランボルギーニの創設者であるフェルチオ・ランボルギーニ氏が、トリノにあるカジノの駐車場に駐車したところ、大富豪たちの注目を一身に浴びる事となります。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/e5/Lamborghini_Miura_Engine-bay.JPG/800px-Lamborghini_Miura_Engine-bay.JPG
この翌年の1966年3月、流麗な美しいボディに身を包み、ジュネーブモーターショーに一際輝くスポーツカーが登場します。これこそが、ランボルギーニ・ミウラでした。ポップアップ式のヘッドライトを備えた美しさに、爆音と熱気のような荒々しさを持つスーパーカーだったのです。
引用: http://farm3.static.flickr.com/2508/3867054324_554d6abb7e.jpg

ランボルギーニ・ミウラは市販車として考えられていなかった!?

実際に誕生当初のランボルギーニ・ミウラは、市販車としては考えられていなかったため、その完成度は高くなかったといわれています。ちなみにランボルギーニ・ミウラは3つの時代に分けられます。P400、P400s、P400svというのは、時代による区分となっています。
引用: https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71q0qRcyDgL._SL1000_.jpg
そして、このP400からP400s、P400sからP400svになるにつれて、ランボルギーニ・ミウラの完成度は上がっていったといわれていますが、実際には一台一台作るごとに完成度が高められていったといわれており、それによって現在にのこる名声をつかみ取ったともいわれています。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/7c/Lamborghini_Miura_P400SV.jpg
ちなみに、ショーカーであるランボルギーニ・ミウラの生産台数は30台程度と考えられており、市販化は考えられていませんでした。しかし、マルチェロ・ガンディーニ氏による美しいデザインにひかれ、100を越すオーダーが入ります。そして、最終的にはおよそ750台が生産されました。

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ランボルギーニ・ミウラに搭載されたエンジンは、3.9LのV型12気筒エンジンでした。このエンジンは、P400、P400s、P400svと改良されるごとに進化していきます。もちろん、当時としては大排気量のハイパワーエンジンで、スーパーカーにふさわしいエンジンでした。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/09/Lamborghini_Miuras.jpg/800px-Lamborghini_Miuras.jpg
1967年 P400:最高出力350hp(355ps)/5100rpm
1968年 P400s:最高出力370hp(375ps)/7700rpm
1971年 P400sv:最高出力385hp(390ps)/7850rpm
ランボルギーニ・ミウラは、この大排気量のハイパワーエンジンに5速のマニュアルミッションを備えたミッドシップのスーパーカーとなったのです。ちなみに現在の日産R35型GT-Rのエンジンが3.8LのV型6気筒ですから、当時としてはかなり大きいエンジンだったといえます。
引用: https://item-shopping.c.yimg.jp/i/n/marusan-hobby_hc13
※P400sv「sv」とはSprint Veloce(スプリントヴェローチェ)の略。「より早い車」という意味。ちなみに後の「ディアブロsv」「アヴェンタドールsv」の「sv」はSuper Veioce(スーパーヴェローチェ)の略。
最初はTP400という型式だけで、名前を付けられていなかったランボルギーニ・ミウラ。当時最高レベルのシャシーとエンジンに美しいボディを纏うと、「ミウラ」という名前がつけられました。この「ミウラ」という名前が付けられたのには、それに裏付けされる理由があるのです。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/15/Lamborghini_Miura_%28Kirchzarten%29_jm20695.jpg/800px-Lamborghini_Miura_%28Kirchzarten%29_jm20695.jpg
前述にもありますが、ランボルギーニ・ミウラは、美しい流麗的なボディの中に、荒々しさを持っていました。この荒々しさを闘牛に例え、当時のスペインの有名な闘牛飼育家であったドン・アントニオ・ミウラ氏にちなんで付けられたとされています。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4e/Wolfsburg_Jun_2012_121_%28Autostadt_-_1967_Lamborghini_Miura%29.JPG/800px-Wolfsburg_Jun_2012_121_%28Autostadt_-_1967_Lamborghini_Miura%29.JPG
当時のスーパーカーとして、日本でのスーパーカーブーム時代にも称賛を浴びたランボルギーニ・ミウラ。当時の販売価格はいくらだったのでしょう?しかし、すでに販売開始からおよそ50年・・・。当時の正確な新車販売価格は、情報として上がっていません。
引用: http://www.marquis001.jp/img/lamborghini/model-miura.jpg
というのも、実際に日本に正規輸入された記録がないことから、ディーラー等による正式な価格が提示されることはありませんでした。しかし、ランボルギーニ・ミウラP400sが、正規輸入された記録はあったようです。その記録とは1972年のことで、当時付けられた価格は、1200万円でした。
引用: http://st.gde-fon.com/wallpapers_original/419586_lamborgini_miura_superkar_krasnyj_peredok_poberezh_1680x1050_www.Gde-Fon.com.jpg
ちなみに、1972年当時のトヨタ センチュリーの価格が298万円でしたから、ランボルギーニ・ミウラがいかに高価であったかが伺えます。ちなみに、1972年の大卒初任給が4万円程度で、当時の1万円は5万円に相当しますので、当時の1200万円という数字が、いかに大きかったかご理解いただけましたか?
ランボルギーニ・ミウラsvjとは、幻といわれるスーパーカーで、実は1台しか製造されませんでした。1969年から開発が始められ、外観のデザインはよくランボルギーニ・ミウラに似ていたものの、所々に違う点をいくつも持っていました。
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/42/Lamborghini_miura_svj_spider_4808.jpg/800px-Lamborghini_miura_svj_spider_4808.jpg
ランボルギーニ・ミウラはヘッドライトにポップアップライトを採用していましたが、ランボルギーニ・ミウラsvjはアクリルカバーで覆われた固定式ヘッドライトが採用されていました。その他サスペンション形式やステアリンググラックのマウント位置、トレッドの幅などにも違いがありました。
ランボルギーニ・ミウラのポップアップヘッドライト
引用: https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/31/Lamborghini_Miura_S_001.JPG
ランボルギーニ・ミウラsvjの固定ヘッドライト
引用: http://art9.photozou.jp/pub/481/2965481/photo/236756989_624.v1526760211.jpg
そこに加えてシャシー自体の共通点も基本部分の一部のみで、ランボルギーニ・ミウラから流用されていたのは、パワートレインだけだったともいわれています。ちなみに「j」というのは、実験車両のオリジナルの「j」という意味だったそうです。
引用: http://art9.photozou.jp/pub/481/2965481/photo/236756978_624.v1526248975.jpg
ランボルギーニ・ミウラの歴史をたどっていくと、ここでもう一つランボルギーニ・イオタという名前が出てきます。これはどういうことなのかと歴史をたどっていくと、ランボルギーニ・ミウラsvjとランボルギーニ・イオタは、同じ車だったのです。
そして、先にご説明したオリジナルの「j」にこそ、その秘密が隠されていたのです。その開発車両に「j」という名前を付けたことで、車内で「jota」と呼ばれるようになります。しかし、イタリア語には「j」という文字がないことから日本では「iota」と表記されたからだといわれています。
引用: http://art1.photozou.jp/pub/481/2965481/photo/236759682_624.v1526997670.jpg

P400svj

P400svjは、ランボルギーニ・イオタの評判を耳にした顧客が、自分の所有するランボルギーニ・ミウラを改造して欲しいという依頼から誕生しました。このP400svjの生産台数はわずか5台といわれていますが、それ以外に修正されたものは、イオタボディに変更されただけでした。

P400svjスパイダー

ランボルギーニ・ミウラsvjスパイダーは、1981年のジュネーブショーに出展された、オープンモデルでした。これはスイスのランボモトールAGが、イエローのランボルギーニ・ミウラsをベースにして作り上げたものでした。 ちなみに、ランボルギーニが買収されて間もない頃の話だったそうです。
たった1台だけ製造されたオリジナル「j」ことランボルギーニ・ミウラsvjことイオタ。実は、売却中であったランボルギーニ・ミウラsvjは、およそ230km/hのシフトチェンジでフロントが浮き上がり、横転して車両火災が発生、これによって廃車となりました。
引用: http://car-moby.jp/wp-content/uploads/2016/09/640px-Lancia_Motor_Club_AGM_2006_-_IMG_8358_-_Flickr_-_tonylanciabeta.jpg
ランボルギーニは、この事故で廃車となったランボルギーニ・ミウラsvjのエンジンなど、再生可能なものを回収します。このエンジンをウェットサンプに改良され、再生パーツとともに、別の個体に搭載されたといわれています。
引用: https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/41HfGsiA7DL.jpg
もう一つは、前述でもご説明しましたランボルギーニ・ミウラ所有の顧客からの依頼によって誕生したのが、P400svjでした。その数はたったの5台でしたが、それ以外にイオタボディに載せ替えただけのものが存在します。その車両はP400svjではなく、イオタレプリカと呼ばれることがあるとのこと。
ランボルギーニ・ミウラの総生産台数は、およそ750台といわれており、現存する個体の数は不明というのが正直なところのようです。販売開始からすでに約50年以上も前の車ですから、その消息すら不明な個体もいくつもあるからです。
引用: http://art17.photozou.jp/pub/481/2965481/photo/236713415_624.v1526666560.jpg
ちなみに日本にもランボルギーニ・ミウラは現存しているようです。また、1971年に出荷されたランボルギーニ・ミウラが工場に戻され、P400svjに換装されたものが日本に入ってきますが、いくつかのオーナーの手にわたり、2010年にアメリカに売却されたといわれています。
たった750台の生産で、すでに行方不明な個体も多いランボルギーニ・ミウラの中古車を探すことは困難です。たとえ中古車が存在したとしても、すでに古い車ですから、レストアだって必要になるはずです。中古車価格にレストア費用をプラスしたら、いくらになることやら・・・。
引用: http://www.ag-motoyama.com/lamborghini/miura_1967_1/pic/photo_1.jpg
ヘッドライトを含め、美しいボンネット
ちなみに、岐阜県にあるオートガレージモトヤマ様の販売歴に、1967年式のランボルギーニ・ミウラの履歴が残っていたました。フルレストアを実施して販売したトのことですが、なんとレストア費用が4500万円!スーパーカー1台が変えてしまいそうな金額です。
引用: http://www.ag-motoyama.com/lamborghini/miura_1967_1/pic/photo_7.jpg
内外部の美しさが伝わります
このレストアされたランボルギーニ・ミウラですが、画像でも分かるとおり、非常に美しい仕上がりです。もちろんエンジンルームもレストア済みで、50年以上前のエンジンとは思えません。ランボルギーニ・ミウラは世界的に見ても稀少車なので、現在の中古車を探すことは難しいでしょう。
引用: http://www.ag-motoyama.com/lamborghini/miura_1967_1/pic/photo_11.jpg
内部の仕上げも美しい!
今後、眠っていたランボルギーニ・ミウラが発見される可能性はありますが、そうなると必ずレストアは必要になるでしょう。中古車といっても稀少車で、そこにレストア費用・・・。万が一中古車が出てきたとしても、ちょっと怖いくらいの中古車価格になりそうです。

オークションではいくらの値が付いた!?

これまで、コレクターズカーとしてオークションにも登場しているランボルギーニ・ミウラ。2013年頃はおよそ5000万円とされていましたが、2015年のオークションで付けられた落札価格は、およそ1億6000万円!最高落札額の記録となったようです。
引用: http://art41.photozou.jp/pub/481/2965481/photo/245631662_624.v1525003258.jpg
その後、2016年にオークションに登場するも、最低落札額だった1億1790万円に手が届かなかったということで、落札されることはありませんでした。現在のオークション落札相場では、およそ8000万円~1億円あたりに位置すると考えられます。

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当時としては珍しいポップアップライトに流麗なボディ、大排気量にハイパワーと、美しさの中に凶暴な面を持っていたランボルギーニ・ミウラは、まさにランボルギーニスーパーカーの歴史を代表する一台です。お目にかかる機会があれば、是非見てみたいものです。
引用: http://st.gde-fon.com/wallpapers_original/580133_opilki_zavod_strujka_lamborghini_oranjevaya_2500x1667_www.Gde-Fon.com.jpg
サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/71q0qRcyDgL._SL1000_.jpg